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地 区 の 紹 介  
 石垣島・与那国島の紹介
  本記事と写真は、平成22年3月23日(火)~24日(水)、全国防衛協会連合会事務局の妹尾参事が石垣島及び与那国島の防衛協会を訪問した際の出張報告の中から、地区の紹介になる写真を掲載する。

  【石垣島】

☆「電信屋記念碑」 ※写真①~③参照 ・「元海底電線陸揚室」(通信所)跡 ※写真④~⑥参照

 日清戦争後、海底通信線(ケーブル)を石垣島のここから新たに日本領土となった台湾に繋げた跡地で、日露戦争時、バルチック艦隊の通過を知らせた宮古島の久松5勇士が石垣島から打った電報を発信した所。 

 5月23日、奥浜牛という那覇の帆船乗りの青年が宮古島付近を北上しているバルチック艦隊に遭遇、バルチック艦隊も彼を視認していたが、龍の大漁旗と、独特の長髪のために中国人と判断して捕えず、奥浜は宮古島の漲水港(現・平良港)に26日午前10時頃に着き、駐在所警察官と共に役場に駆け込んだ。

 宮古島は大騒ぎとなり、当時島には通信施設がなかったため、島の重役・長老達の会議の結果、石垣島にこの情報を知らせる使いを出す事となり、漁師5人を選抜した。
 5人は15時間、170キロの距離をサバニを必死に漕ぎ、石垣島の東海岸に着き、さらに山道30キロを歩き、27日午前4時頃、八重山郵便局に飛び込んだ。局員は宮古島島司(島長)からの文書を受け取って電信を那覇の郵便局本局へ打ち、電信はそこから沖縄県庁を経由して東京の大本営へ伝えられた日本本土への連絡は信濃丸によるものが数時間早かったため、この情報が直接役立つことはなかったその後5人の行為は忘れられていたが、昭和に入り、この事実が発掘され教科書に掲載されると一躍評価が高まり、5人は沖縄県知事から顕彰され郷土の英雄となった
 
 
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      写真① 石垣島電信屋記念碑     写真② 石垣島左の碑文(拡大)

       
       写真③ 石垣島上の布設図(拡大) 写真④ 石垣島元海底電線陸揚室(説明板)

       
 写真⑤ 石垣島元海底電線陸揚室(外観)   写真⑥ 3/23石垣島元海底電線陸揚室(外観)

   【与那国島】

☆与那国防衛協会会長・金城信浩(キンジョウシンコウ)様を表敬訪問 ※写真⑦(全国連合会からの激励金お渡し)

                           
                 写真⑦ 与那国島与那国防衛協会・金城会長と

☆自衛隊誘致反対派の人々の反応でも「横断幕破りはヒドイ、あれはイカン」という声があがっている。本事件の犯人の目星はハッキリしていないが、多分島外の人間で、すでに島を出ているだろう。今回の北澤防衛大臣の与那国来島に際し、反対派は過激な反対運動は計画していない模様。

   

 写真⑧与那国島空港フェンス【誘致横断幕】補修  写真⑨同左【反対横断幕】写真
 ⑩同左【横断幕3連~誘致・反対・誘致~】

  【石垣島・与那国島】


◆私が宿泊したホテル(石垣港至近)の隣地に尖閣列島開拓に尽力した古賀父子の碑を発見した 
  ※写真⑪~⑬参照
   
写真⑪石垣島古賀辰四郎尖閣列島開拓記念碑 
写真⑫同左の碑文(拡大)  写真⑬同左の琉球列島図(拡大)

                  
                   写真⑭ 3/24与那国島西崎 「日本最西端之地」碑
 
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